私の破滅の道を塞ぐもの…それは被爆

あの日の事は朝から晩までハッキリ記憶に残ってます。美しい青空が広がってそこに一筋の雲が流れてきました。何だろと見上げると、風船のような物が山に沈みました。その瞬間私はかなりの距離を飛んでいて、烏色した闇の中で、なんの感情もなく、横になっていました。かなりの時間だったのか、短時間だったのかはわかりません。その暗闇が去ると、遠くまで、遠くまで見渡せて火の手が上がっていました。その後続く光景は自分の脳が記憶出来ませんでした。したくなかったのでしよう。しかし、どんなに辛いことに出会っても、必ずあの日が帰ってくる。命があればいいだろう、と誰かがつぶやく。後遺症もなかったわけじゃない。だがあの頃は(いや、現在でも)差別され、手帳をとるのも迷った。原爆手帳あっていいね、の言葉は傷つく。一生、原爆病の恐怖にさらされながら、生き続けなければならない気持は理解してもらえないだろう。しかし誰も皆体験したことしかわかりませんから、責めるつもりはありません。原爆に感謝するとすれば、生きていることの大切さ、命への愛おしさを学んだことでしよう。未来ある人達が、わけも分からず、亡くなっていったんです。生きたくなくても、苦しくても、なんとかして生き続けたいと老体にむち打つ今日この頃です。