毒親と言う新語

  • この頃色んな新語が目につきます。毒親もその一つですが、最初は一瞬、毒虫に見えました。非常に驚きました。親もそこまできてしまったのか。毒親にも年代の違いはありますが、年齢関係なく、毒親が多いのは間違いありません。自分も毒親の巣にひっかかりましたが、今の若者も毒親に捕まっているようです。自分の毒親と他人の毒親とは比較になりませんが、しんどいもんではあります。毒親になるのはなるべくしてなったのです。むろん毒親には必ず毒親がおります。毒親にそだてられた子供は毒親になる因子を持ってます。その因子を上手に騙まくらかさないと自分も毒親になる可能性もあるわけです。毒親を語る前に夫婦関係を観なければなりません。中睦まじい夫婦で夫婦優先の夫婦関係を築いている家庭はまず毒親に変身しません。家庭は母が太陽であれと言われた時もありますが、父親にも太陽になって欲しい。別に太陽が二つあったって問題はありません。明るいことは良いことです。父親はゆったり、包み込むように、母親はにぎやかで、時には子供と大立ち回りをして、父親が笑いながら仲裁に入る家庭風景は微笑ましい。父親は暴力ふるっちゃ駄目、いつもかつも怒鳴っちゃ駄目。男の子が父親を怖がらず何でも話すような家庭には毒親は現れません。父親は女の子にはどうしても甘いですから、あまり問題は起こりません。家庭は父親が幸せの鍵を握ってます。夫婦関係が良く特に夫婦が尊敬し合い暮らしている家庭には将来毒親になる子供は育ちはしないとおもいますよ。毒親と言う新語は流行させたくない言葉のひとつです。

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80才の再び起業

自営業を止めて他県の娘家族の近くに来た。夫婦二人で静かに暮らそうと決心したが、問題が起きた。夫がぼや~としてきた。認知症になったわけじゃないが、働き続けてきたから気力が落ちた。私も同じ症状になった。夫婦それぞれ違う仕事をしていたので、ややこしくなった。特に夫の方が危ないと感じ元の他県の場所まで仕事に行ってもらうことにした。1ヶ月に六日通いである。きついけど小遣いも稼ぎ元気を回復してきている。私も自営の仕事を始めるつもりだが、80才という年齢にたじろぐ。事務所を貸してもらえそうだが、その後の準備を考えると怖い。しかしそれでも、始めるつもりだ。泥舟になるかもしれないが、やらずに死ぬよりやって人生を終わりたい。そこまでしなくてもと思われるかもしれませんね。

水害と共ににダメになりたくない

働いてばかりの人生。こんな言葉は惨めに感じさせてしまいますね。そうじゃなくて働くのが好きですね。それが仕事場が泥に飲まれて一瞬で消えたわけです。その前から娘の近くに行く約束をしてたもので、いたしかたなく決死の引っ越しです。しかし働きたい。またしかし、そこに横たわる年齢の問題。事務所借りるのも楽じゃない。以前は保証人で良かったけれど、いまじゃ年齢制限。まあ、ジェットコースターなら解らんことはないけれど、人間の年齢に基準はないから。ちゃんとした保証人がいるんだけど。だけど絶対にする!

孫が頭髪を抜くのです。

小学生1年生です。自虐的行為です。ストレスは何だろうと考えてます。一人っ子で親達も普通にやってるんですけれど、表現力が出来ない年齢ですから本人も辛いのじゃないかと思うのです。原因はわかりません。自我意識が強いからすべての枠に入り切れないのじゃないかなとは考えてます。

生と死は紙一重じゃなくガーデンで区切られて…

生と死が紙一重と言うことはよく聞く話ですが、カーテンの向こうに死があるんです、と言われるとより一層死を身近に感じます。紙ならまだ体にあたり足でふんばれる。カーテンじゃそのまま倒れこみ生への生還はまったくない。私の御世話になってる若い住職はさらりとカーテンと言われた。そうかも知れない。生と死は非常にもろい関係にあるのでしよう。