大人が考えている以上に子供は繊細です。その子は皆から指しゃぶりを指摘されてその代わりとして頭髪を抜いていました。頭髪を抜くことはやめてもまた他の症状がでるでしよう。こどもは語彙が少なく、言葉の表現が上手く出来ない。不安を抱えています。その子だけの問題ではなく、どの子も抱えている問題でしよう。家庭内家庭外の多くの悩みを抱えている大人達だけではなく子供達も悩みを抱えています。教育本にはきちんと書いてありますが、理屈通りに親子関係が簡単には上手くいきません。子育てに悩み生きてきた体験者の素直な気持を言えば、子供達の不安をいかに少なくしてやるかでしよう。まずは子達もまた大人と同様悩みを抱えていることだけは知ってあげてください。
あんなに簡単に痩せれるのかな。皆信じてるのかな。自分は痩せるのにかなり苦労したから。1年かけて3kgとか。
本当の話です。学んだこと・・・生徒の英語能力を否定することはなかったこと、丁寧に教えられたこと、しなかった事は叱っても出来ない事は叱れなかった。自分の英語能力の低さが解ってましたから、解らなくて当たり前と言う考えがありました。得意だったら、これくらいの事が理解できないのと生徒に失礼な態度をとっていたかもしれません。
あの日の事は朝から晩までハッキリ記憶に残ってます。美しい青空が広がってそこに一筋の雲が流れてきました。何だろと見上げると、風船のような物が山に沈みました。その瞬間私はかなりの距離を飛んでいて、烏色した闇の中で、なんの感情もなく、横になっていました。かなりの時間だったのか、短時間だったのかはわかりません。その暗闇が去ると、遠くまで、遠くまで見渡せて火の手が上がっていました。その後続く光景は自分の脳が記憶出来ませんでした。したくなかったのでしよう。しかし、どんなに辛いことに出会っても、必ずあの日が帰ってくる。命があればいいだろう、と誰かがつぶやく。後遺症もなかったわけじゃない。だがあの頃は(いや、現在でも)差別され、手帳をとるのも迷った。原爆手帳あっていいね、の言葉は傷つく。一生、原爆病の恐怖にさらされながら、生き続けなければならない気持は理解してもらえないだろう。しかし誰も皆体験したことしかわかりませんから、責めるつもりはありません。原爆に感謝するとすれば、生きていることの大切さ、命への愛おしさを学んだことでしよう。未来ある人達が、わけも分からず、亡くなっていったんです。生きたくなくても、苦しくても、なんとかして生き続けたいと老体にむち打つ今日この頃です。